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第二〇話
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舞台を見るのなんて何年ぶりだろう。
チケットが取れない事で有名な『洗足池野獣会』はさすがの賑わいで、三百の客席はすべて埋まり、立ち見客で通路が塞がるほどだった。主演・脚本・演出を務める、我修院ノブヨの天才的なコメディセンスとグラマラスな肉の存在感に魅了され、ユリエの心は浮き立っていた。数回に及ぶカーテンコールの後、ようやく場内に灯りがつくと、関係者席に並んで座るエイジに、うきうきと話しかける。
「来て良かった! 我修院ノブヨ、最高ね! ああ、彼女だったらビッチなガーターや網タイツも、ハードボイルドに着こなせそう! 是非是非モデルをお願いしたいわ」
「そうか。じゃ、楽屋に行こう。俺からも掛け合ってみようか」
劇場を後にすると、二人はロビーの人込みをかき分けていく。
「しばらく見ないうちに、お前またいっそう綺麗になったなあ。一皮むけたよ」
「そう? 今日もほとんどすっぴんだし、美容院にも全然行ってないのよ。時間なくて」
「写真旅行も兼ねて、また二人だけでヨーロッパでも行かないか。今のお前なら是非、モデルをお願いしたいくらいだ」
しつこく絡んで来るエイジを軽くあしらっていると、見習の劇団員らしき、若い男がやって来た。「洗足池野獣会」のロゴが入った青いTシャツに関係者用のネームプレートをぶら下げている。
「奥沢さんと浜島さんですね。座長から伺ってます。もう楽屋でプチ打ち上げが始まってますんで、こちらにどうぞ」
彼に誘われて、狭い階段を下り、通路を辿る。トマトとチーズと肉が溶け合う美味しそうな匂いがして、ユリエは思わず目を細めた。
「今日の打ち上げメニューは、『天空の城ラピュタ』のシータが作ったシチューなんですよ。『洗獣』名物の打ち上げ料理、俺達、毎回楽しみにしてるんすよ」
鏡を張り巡らした広い部屋に案内されると、長いテーブルを取り囲んで、三十名ほどの劇団員やスタッフらが缶ビールをぶつけ合っているところだった。
「千秋楽お疲れさま! 座長、お疲れさま。かんぱーい」
中央のカセットコンロでぐつぐつと煮える鍋が、どうやらラピュタのシチューらしい。劇団員達は奪い合うようにしてポリ容器にシチューをよそい、ふうふうと夢中で息を吹きかけている。
「おお、まさに想像していた通りのコクととろみだ!」
「バルス、バルス」
それこそ「ドーラ一家」のような勢いでシチューをかきこむ劇団員達の間から、揃いのTシャツ姿に首にタオルを巻いた我修院ノブヨが笑顔を見せた。
「エイジ〜。来てくれたんだ。あ、隣にいるのは写真家の浜島ユリエさんね! 評判通りのすごい美女!」
ユリエはにこやかに自己紹介し、名刺を差し出す。すっぴんのノブヨは男の子のような印象で、舞台上の迫力たっぷりの女とは別人だ。なんとなく誰かに似ている----。
「良かったら、ラピュタシチューを食べてって。あ、耶居子ちゃん、取り皿二人前用意して」
「耶居子......!?」
シチューを取り分けたり、飲み物を注いだりと忙しく立ち働いていた小柄な女が振り向いた。目が合うなり、ユリエはその場を動けなくなる。
耶居子も同じと見えて大きく目を見開き、立ち尽くす。こんなことを感じるべきではないのだろうが----。ユリエは失望していた。久しぶりに会う耶居子は、拍子抜けするほど、その場になじんでいたのだ。昔からどんなにおとなしくしていても周囲の空気をかき乱す、どす黒いオーラを放っていたのに。世の中全部を敵に回しそうな鋭い目つきが持ち味だったのに。獰猛なライオンのような耶居子はどこにいったのだろう。
目の前にいるのは、ややぽっちゃりとした、可愛らしいといってもいい平凡な女だ。髪をお団子に結い上げ、ピンク色の頬を汗で光らせている様は、いかにも気だてがよく健気そのもので、劇団のTシャツもよく似合っている。
「耶居子ちん、今日のシチューも美味いよ。本当にお嫁さんにしたいタイプだよなあ」
劇団員の一人がからかうように声をかけると、耶居子はなんと控えめな笑顔を浮かべ、はにかんだように頭を下げたのだ。
「久しぶり......」
ユリエが言うと、耶居子はもじもじとしている。ずっと黙っていたエイジが割って入ってきた。
「だまし討ちしたみたいでごめんな、二人とも。でも、こうでもしなきゃ、お前達一生仲違いしたままだろ」
エイジはいつになく、不器用そうに言葉を繋いだ。
「大学生の娘がさ、高校の頃、つまんないことで友達と仲違いしたんだよ。いまだにそれを引きずってるんだ。俺が気付いて教えてやればよかったんだよ。写真の撮り方や人をたらす方法じゃなくて、もっと大事な、......仲直りのやり方ってやつをさ」
彼の口から直接、娘の話を聞くのは初めてで、ユリエはその横顔に見入ってしまう。そうだった、エイジも父親なのだ----。ノブヨさんが三人の顔を順に見つめた後、こう言った。
「耶居子ちゃんは、去年身一つで私のもとにやってきたの。雇ってください、頼れる人はあなたしかいない、何でもします、家族に少しでも仕送りしたい......。それはもう必死でほだされちゃった。それで、付き人として雇ったの」
耶居子が誰かのサポート? マイペースで気難しい彼女が付き人? ユリエは耶居子をまじまじと見つめる。彼女は睫毛を伏せたままだ。
「いつの間にか私の世話だけじゃなくなってきた。劇団の細々した雑用、チケットのモギリに掃除に洗濯。耶居子ちゃんは一人で何十人分も働いてくれているの。この通り気が利くし、感じはいいし、ここでは人気者よ。私は本当に感謝してるわ。でも......」
ノブヨさんは言葉を切ると、ふいに耶居子の肩に手をかけた。そうして並んでいると、二人は本物の姉妹のように見えてくる。
「あなたの料理はプロ並みよ。表現力や頭の回転の速さはプランナー向きね。あなたは将来、女優や舞台関係者になりたいわけじゃないんでしょう。だったら、劇団の裏方にいるべき人じゃないと思うわ」
耶居子は顔を上げ、すがるようにノブヨを見つめている。
「意地悪で言ってるんじゃないわよ。ただ、私には耶居子ちゃんが自分を殺しているように見えて......」
「我修院さんの言う通りよ!」
たまらなくなってユリエは腹の底から声を張り上げた。劇団員達がいつの間にか固唾を飲んでこちらを見守っている。ユリエはつかつかと、ノブヨとの間に割って入り、耶居子の腕を乱暴に掴んだ。
「皆に愛されるとか、人のお世話とか......。そんなの池田耶居子じゃない! なに、シモキタ文化になじんでんのよ。協調性発揮して、気配りしてんのよ。揃いのTシャツ着てニコニコしてるんじゃないわよ! そんなのもっと性格のいい女に任せておけばいいじゃない! あんたはあんたらしく世の中に楯突いて、毒でも吐いてりゃいいのよ!」
髪を振り乱してわめくユリエを、ノブヨもエイジも耶居子もぽかんとして見つめている。
もう誰にどう思われても構わない。無性に腹が立ってならなかった。幼い頃から、誰とも群れずに堂々としている耶居子が憧れだったのに。自分さえ良ければ後はどうでもいい、と言わんばかりのふてくされた態度で、教室の片隅で黙々と消しゴムを彫っている彼女がヒーローだったのに----。
「あんなに人気のあったブログもやめて莫迦じゃないの? フードコディネーター・ヤイコはどうなるの? 自分が食べたいものだけを作って、遊んでいるみたいに仕事してるのがあんたにはお似合いなのにさ!」
「ごめん。ユリエ、それはできない」
ようやく耶居子は、消え入りそうな声で遮った。やぶにらみ気味のアーモンド型の瞳がこちらを見上げている。
「私の料理は、あの家で玲子さんやユリエに引き出してもらった力だもの。だから、表立った仕事にしちゃいけないの。私はあなたたちを騙したんだから。償わなきゃいけないんだから」
そんなこと、とっくにもう許しているのに----。おどおどしているように見えて、強情そうなところは少しも変わらない。苛立って言い返そうとしたその時、ふいに閃いた。ユリエは、間に入ろうとするエイジを制し、耶居子に鋭く言い放った。
「本当に悪いと思っているんだったら、償ってもらおうじゃないの」
耶居子は目を見開き、飛び立つ寸前の小鳥のようにかすかに体を震わせている。静まり返った楽屋に、ラピュタシチューの煮える音だけがくつくつと響いていた。
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