2011年04月25日

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第十二話



「男物のハットをかぶって正解ね。ドルマンスリーブのニットもすごく似合っている。葉月さんってカットの腕前もすごいけど、メイクも天才ね。オーバーリップがセクシーだわ。それ、本当に睫毛パーマだけ? エクステ付けているみたいよっ」
 運転席のユリエは、内堀通りの信号で停車するたびに振り返り、後部座席の耶居子をしきりに褒めそやした。
 葉月にされることにひとつひとつ面食らうばかりだった。髪や睫毛に変なにおいの液体を塗られたり、頭をサランラップで巻かれ熱風にさらされたり、剃刀を頬にあてられたり----。何もかも初めてだった。ヘアサロンに入ってから何時間が過ぎた頃だろう。鏡の中の自分はすっかり別人となった。ほんの少しの間でいいから見とれていたかったのに、仕上げのブローが終わるなり、紙袋を両手にぶら下げたユリエが飛び込んできた。そして、店の前に停まっていたこのミニクーパーに引きずりこまれたのだ----。
 ユリエに言われて、紙袋に入っていた服に着替えさせられた。拒否しなかったのは、首から上に対して、スウェットがあまりにもみすぼらしく感じられたからだ。幸いにもヒラヒラした気色の悪い服ではなく、モノトーンのニットとスカートなので安心した。足が出るのが不安だったが、レギンスとやらを穿いたのでそう気にならない。ごついエナメルのブーツや男物のハット、チェーンのアクセサリーは勇ましくてどれも一目で気に入った。
「ねえ。一体どこにいくの? いい加減教えてよ」
 大手町に入ると、耶居子はふくれっ面で問いかける。
「日本橋の三越。耶居子ちゃんを連れて行きたい展覧会がやっているの。玲子さんと葉月さんの『耶居子変身計画』を耳にしてから、ぜひともゴールはここにしなきゃ、と思って」
 勝手にそんな計画をされていたとは。おちょくられている気がして、唇を噛み締めたくなる。つややかに光るベージュの口紅が落ちてしまう気がして、急いで歯を引っ込めたが----。
 デパートの裏手にある駐車場に車を停め、二人は日本橋三越の南口をくぐった。どうせなら正面玄関から入りたかった。老舗デパートなんて興味はないが、シンボルである獅子の像だけは見ておきたい。荒俣宏の『日本橋異聞』を読んでから、気になっていたのだ。
 宝石売り場のウィンドウに映った自分の姿を見て、耶居子は雷に打たれたように立ちすくんだ。不敵な顔つきのグラマラスであか抜けた女。ゆったりしたニットは体形を上手くカバーしている。タイトな黒いスカートから伸びる足は細くはないが、ブーツや同色のレギンスのおかげで全体としてのバランスはよく見えた。ハットから流れる、くるくると大きくうねった茶色の髪、ダークな色味のほお紅と目の周りを暗くしたメイクは、肌を白く瞳を大きく見せている。
「あー、見とれてる。見とれてる」
 ユリエは笑って、こちらの肩を抱いた。これほどの美女と並んでも、さほど不自然ではないのが不思議だった。ショーウィンドウに映る二人は、モデル仲間にはもちろん見えないものの、買い物に来た友人同士のようだ。
「服も小物も、仲良しのスタイリストさんからタダで頂いたものなの。耶居子ちゃんの写真を見せたら、コーディネートを考えてくれたのよ。あなたには可愛い系より、クールで辛口な格好が似合うだろうって。小物使いがとっても上手でしょ」
 胸を突かれた思いだった。自分をどれだけわかっているかで、女の魅力は決まるのかもしれない----。美しくないというだけで、すべてをあきらめる必要はなかったのかもしれない。ユリエに背中を押されるようにして、吹き抜けを貫くような天女像をぐるっと半周し、エレベーターに乗り込んだ。
「ああ、耶居子ちゃんといるとやっぱり楽しいわ。実を言うと最近、あなたにちょっと嫉妬してたんだけどね」
 エレベーター内は混んでいて、ユリエの息が耳にかかるほどだ。振り返りたいが、人に押されて身動きがとれない。
「この間、お兄ちゃんと飲みに行ったでしょ」
「あれは......」
「わかってる。幼なじみとして楽しく飲んだだけよね。兄もそう言ってたわ。でもね、私、恥ずかしいけれど、ブラコンの気があるんだ。昔っから、お兄ちゃんは耶居子ちゃんを気に入ってたでしょ? つい子供の頃のねたみを思い出しちゃって。ただでさえ、耶居子ちゃんって最近輝いているし、私と違って誰からも好かれるんだもの」
 一体、何を言ってるのだろう。反論しようとした瞬間、七階の到着を知らせる音がチンと鳴る。エレベーターのドアが左右に開き、人々が一気に吐き出される。つんのめる格好でフロアに躍り出ると、催事場らしきブースを飾る看板が目に入って、声をあげそうになった。
「奥沢エイジ写真展『ワダミサキ』」
 オープニングイベントの最中だろうか。入り口から垣間見える会場内は、グラスを手にした華やかな男女で溢れている。カメラのフラッシュが、展示された写真を照らし出していた。人々の中心には、背の高いあの男が立っている。洒落たスーツを着てゆったりと微笑むその姿は、まさに勝ち組そのもの。周囲の人間がひれ伏しているようにしか見えない。ああ、面倒なことになった、逃げよう----。くるりと踵を返したら、ユリエに通せんぼされた。怒りを込めて、彼女を下から睨みつける。
「だましてごめんなさい。でも、仲直りしてもらいたかったんだもの。エイジさんも耶居子ちゃんも、私にとって、大切な大切な人だから。誤解したままなんて悲しいじゃない」
 ユリエは哀願するように、形のよい眉を八の字に下げている。くだらないお節介を焼きやがって----。耶居子は床にハットを叩きつけたくなった。コテンパンにやり込めた相手ともう一度顔を合わせる気まずさ。戦ったことのないユリエにはわからないのだろう。背後で苦み走った声がした。
「あんた、あの時の松葉杖の女か?」
 顔を合わせる瞬間を少しでも遅らせようと、耶居子はのろのろと振り返った。奥沢エイジと視線がぶつかるなり、彼の目に驚きを認めて、たちまち羞恥を感じた。お洒落なんてするのではなかった----。無我夢中でユリエを突き飛ばし、エスカレーターに向かって走った。エナメルのブーツをどたどたと鳴らして駆け下りていく耶居子に、乗客たちは迷惑そうな視線を投げかけ、ぶつからないように体を傾けている。
 三階まで一気に駆け下り、振り向いた。奥沢エイジがすぐ上の階まで追いついているではないか。絶対つかまるものか。耶居子は歯を食いしばると、全速力で一階まで駆け下りた。買い物客らにぶつかりながらフロアを横切り、正面の東口玄関から表に飛び出した。すぐに立ち去るべきだったが、どうしてもライオン像が気になってしまい、ほんの一瞬、足を止めた。荒俣宏さんによれば、大正時代、大のライオン好きで知られた支配人が「商いの王者」という自負の念を込めて飾ったらしい。威厳のある佇まいで中央通りを見据えるライオンから目が離せない。鈍く光るたてがみに触れてみたくなった。
「トラファルガー広場のネルソン提督像の足元にいるライオンをモデルに作ったんだよな。ロンドンを旅行した時に実物を見たよ」
 しまった----。奥沢エイジが膝に手をつき、肩で息を整えながら、こちらを覗き込んでいる。髪を乱し、額に汗を浮かべている様は、先ほどの取り澄ました姿とまるで重ならない。それにしても、こんな時でも首から一眼レフをぶら下げているなんて。
「このライオン、好きなのか」
「好きっていうか、荒俣宏......」
 言いかけて、すぐに口をつぐんだ。この男と趣味を分かち合う必要などない。
「ああ、『日本橋異聞』のこと? あれ、面白いよな」
 彼がごく自然に口にしたので、かちんとする。この手の輩に、あまり本を読んでほしくない。どこまでも軽薄に、ろくにものを考えずに生きていってほしい。あら探しや揚げ足がとれなくなくなってしまう。
「そうじゃなくて、ライオンが好きなだけ。私、ライオンに似てるってよく言われるから。その、獅子座だし」
 早口で言いながら、その場を逃れようようとするが、エイジは大股で追いかけてきた。
「へえ、獅子座か。どうりで気が強いわけだな。そんなに好きなら、これから日本橋のライオン巡りに行かないか」
「ライオン巡り?」
 何のことかわからず、歩道の真ん中で足を止めた。
「おい、おい、覚えていないのかよ。日本橋に何頭のライオン像があると思っているんだよ。例えば、すぐそこの日本橋の橋桁に飾られている青銅の像とか。獅子と麒麟からなる聖獣。日本の中心を見守っているシンボル。本にそうあっただろ」
 悔しいが、言われてみればその通りだった。好奇心に逆らえず、仕方なく彼に付いていくことにした。エイジと並んで歩くのが恥ずかしくてならない。芸能人のようなオーラを放つ奥沢エイジは、面白いほど通行人の視線を集めている。前からやってくる女の一人が、エイジと耶居子を見比べ、腑に落ちない表情を浮かべたので、思い切りガンを飛ばしてやった。
「展覧会、いいんですか?」
 嫌々ながら問うと、エイジはうなずいた。
「ああ、ユリエに適当に誤摩化してもらうよう、言い残してある。正直、抜け出したくてたまらなかったんだ。内心、俺を莫迦にしている人種も大勢来てるからな」
 へえ、少しは客観性もあるのか----。耶居子はちょっと面白くなってきた。この男のプライドを砕いたのが自分かもしれないと思うと胸を張りたくなる。それにしても、ユリエはなんと便利使いされていることだろう。
「それなら一層、仕事に支障が出るんじゃないんですか?」
「大丈夫だよ。ユリエにはこうも言っておいた。最高の被写体を見つけたから、逃したくないとね。こう言えば、少なくとも古い付き合いの記者やファンは納得するよ」
 意味がわからず眉をひそめた瞬間、エイジは電光石火の早さでカメラを構えた。フラッシュが瞬く。レンズ越しにこちらをくまなく見透かすような冷酷さを感じ、カッとなってカメラを奪おうとする。たちまち、エイジの大きな手で押さえ込まれた。耶居子ははねのけようと、じたばたと暴れた。二人の小競り合いに、立ち止まる通行人までいるほどだ。
「まあ、聞けよ。この間、お前に言われたこと、かなり考えさせられたんだ。確かに今の俺の作品は過去の焼き直しだ。批判を避けるあまり、ヨーロッパの駅から離れられなくなった。無難さからはもう卒業したい。俺は今まで避けて来たものを撮ろうと思う。つまり、粗野で完成されていないエネルギー、怒りや感情の爆発、といったものだ。そう、お前だよ」
「私?」
「あの日から、ずっとお前に会いたかった。俺に食ってかかった、あの獰猛(どうもう)で不細工な顔が忘れられない。俺のモデルにならないか」
 呆気にとられて、まじまじと彼を見上げる。モデル----? この池田耶居子を? ユリエのような美女に取り囲まれ、被写体に不自由しないであろう、この売れっ子カメラマンが? なんという侮辱だろう。腹の底からむらむらと怒りが湧いてきて、声を荒らげてしまう。
「はあ? 莫迦にしてんの? そんなんだから、落ち目になるんだよ! ふざけんな!」
 我慢がならず拳を握りしめ、地団駄を踏んだ。周囲の視線などもはや構っていられない。奥沢エイジは少しも動じない。耶居子の正面に回り込み、後ずさりするようにしてシャッターを押し続ける彼を、締め上げたい思いに駆られる。
「その顔、すごくいいぞ。今日はこのまま日本橋をデートをしよう。ほらほら、好きなことを言ってもいいんだぞ。あの無菌状態の美人の館じゃ、お前、半分も自分が出せないんだろう?」
 的を射た指摘に言葉が詰まった瞬間、エイジにハットを奪われた。この男----。日本橋に着くまでの間、耶居子はありったけの罵詈雑言をエイジに浴びせ続け、ハットを取り返そうとやっきになって飛び跳ねていた。



 日がすっかり短くなった。
 夕食前には浜島邸に辿り着いたが、辺りは闇に包まれ、真夜中のような印象だ。自分が不良になった気がする。奥沢エイジの運転するシェルビーの助手席から飛び降りるなり、耶居子はお礼も言わずに一目散に門へと向かう。
「また、撮らせてくれよな。今日は楽しかったよ、獅子丸!」
 エイジの叫び声を背中に受け、そっけなく片手を振って返した。インターホンを押すと同時に門が開いたので、素早く飛び込む。ちくしょう----。
 認めたくはないが、彼との数時間の散歩は面白かったのだ。「日本橋異聞」で紹介された、日銀の門に掲げられた二頭の獅子、椙森(すぎのもり)神社の狛犬を見て歩いた。奥沢エイジはしきりにシャッターを押し、耶居子を挑発するようなことばかり口にした。
 しかし、ずけずけした物言いは慣れてみると案外楽しい。話題も豊富だ。性格の良くない者同士とあって、気楽にしゃべれた。何より、人形町でおごってもらった江戸前握りの美味しさときたら。カウンターで好きなだけ寿司を食べるというのは初めての経験だった。
 玄関のドアノブに手をかけるなり、優子、玲子、葉月がいきなり飛び出してきた。三人の顔に浮かんでいる不安な色を見て、何かあったな、と察した。
「耶居子ちゃん、どこに行ってたの? ユリエちゃんの話は本当なの? 奥沢エイジさんと写真展から逃亡したっていう......」
 こちらの肩をゆさぶらんばかりに玲子は尋ねてきた。葉月が困り果てたように、吹き抜けを仰いだ。
「ユリエちゃん、帰ってきてから、二階の自分の部屋に閉じこもって出てこないのよ」
 責められている気がして、耶居子はムッとした。だいたい、写真展に無理矢理連れて行ったのはユリエではないか。その場を立ち去ろうとする耶居子を追いかけてきたのはエイジだ。くだらないカップルのお遊戯に付き合わされている気がして苛々してくる。どうせ愛し合っているくせに----。ブーツを脱ぎ捨てると、二階に続く階段をずんずんと上る。玲子たちが慌てて後を追ってきた。
「心配するようなことは何もないよ。あの男、私を莫迦にしているんだよ。ブスの怒った顔を写真に撮りたいってあんまりしつこいから、売られた喧嘩を買っただけ」
 弱っちいユリエがどんな誤解をしているのか想像に難くない。まったく美人なんだから、もう少し自信を持てばいいのに。あの女ったらしが獅子丸なんかに惹かれるわけがないではないか。ユリエの部屋の前にたどり着くと、乱暴にドアを叩いた。
「ユリエ、開けな!」
 大声で怒鳴っても、返答はない。
「まずいよ。耶居子さん」
 優子がめずらしく咎めるように言った。
「ユリエちゃん、エイジさんがあなたを撮るために消えちゃって、すごく傷ついたのよ。だって彼女、かれこれエイジさんと六年になるけど、一度も写真に撮ってもらったことない、って言ってたもの」
 そんな、まさか----。耶居子は信じられない思いで優子を見つめた。急に嫌な予感に突き動かされる。数歩下がると、夢中でドアに体当たりを食らわせる。玲子が、やめなさい、と声をあげたが、気にも留めない。三度目の体当たりでようやく戸が開き、耶居子は転がるように室内に飛び込んだ。
 初めて入るユリエの部屋を見渡し、耶居子は息を飲む。これがあの綺麗で可愛いマドンナの部屋----? スナック菓子の袋、煙草の吸い殻の溢れた空き缶、汚れたメイク道具、雑誌の山で溢れ、床がほとんど見えない。すえたような匂いさえ漂っている。かつての自分の部屋にそっくりではないか。
 パソコン画面の光が、ユリエの薄い背中を白く浮かび上がらせていた。


※本連載は1週間おやすみ致します。次回の更新は5月9日です。

柚木麻子

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