2011年05月16日

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第十四話



 ユリエの部屋の前を、一時間置きにこそこそと見に行って、何度目だろうか。トレイの上のパラフィン紙に包んだ手作りカロリーメイトが消えているのを見て、耶居子は声にならない歓声をあげ、小さくガッツポーズを決めた。
 スキップせんばかりの足取りで階段を駆け下りると、リビングのソファでくつろいでいる玲子、優子、葉月、まーちゃんに向かって、両手で大きくマルを作ってみせる。一同の目がパッと輝いた。
「やったあ、ユリエちゃんがついに食事したのね!」
「耶居子さんの作戦大成功! 夕食もとらずに頑張ったかいがあったわ」
 葉月と優子は抱き合って、きゃあきゃあ喜んでいる。
「あー、よかった。まずは第一歩ねえ。これをきっかけに食欲を取り戻してくれるといいんだけど」
 玲子は大きく息を吐き出すと、ソファの背にどさっと体を預けた。昼過ぎから、かれこれ六時間近く試作の総指揮をとっていたせいで、耶居子以上に疲れているはずだ。
「やっぱり、フルーツ味にして正解でしたね。食欲ない時でも、さくさく食べられるもの。グレープフルーツ果汁だけじゃなく、皮も擦って入れることで、あの独特の苦みが生まれるんですね」
 傍らのまーちゃんのつるつるした髪をもてあそびながら、耶居子は満ち足りた気分で言った。まーちゃんは頬に白い粉をつけて、にこにことこちらを見上げている。クッキー生地に竹串でぽつぽつと穴をあけたり、味見係として意見を求められたりして、すっかりお姉さん気分なのだ。夕食代わりにお菓子を食べるというのも刺激的な経験なのだろう。
「レモンピールやアーモンドまで入っているなんて、なかなか贅沢なのね、カロリーメイトって。味のバランスもいい。私、市販のお菓子のこと、見くびっていたかもしれないわ」
 玲子が感じ入ったように、皿に山盛りになった試作品に手を伸ばし、さくりと白い歯を立てる。まーちゃんが嬉しそうに叫んだ。
「わあ、ママ! これから、お外でお菓子買ってくれる?」
「駄目よ。ま、耶居子さんが作ったものならいいけどね。彼女なら安心して任せられるわ」
 こちらに目をくれ、彼女はかすかに微笑んだ。認められた----。耶居子は胸が高鳴るのを感じる。仕事で評価されたことなどない。新卒で入社した会社では、雑用を押し付けられてばかりで、ちやほやされるのは要領のいい綺麗な同期ばかりだった。あれ以来すっかりやる気をなくし、アルバイト時代は手を抜いたりサボることしか考えていなかった。
「ほら、見て。さっそく写真とレシピをアップしたら、アクセス急増、コメント殺到よ!」
 優子が嬉しそうにiPadを差し出した。「YAIKOのジャンクにジャンピン」の最新記事「な、な、なんとあの月島雫の好物にチャレンジィ??ッ! モサモサ味の決め手は○○○!」には早くも三百件以上のコメントがついている。「これなら安心。塾通いの息子にもたせたいです」「チョコ味とチーズ味のレシピもお願いします!」「ヤイコの日記は毒があってウケる。てか、フードコーディネーターとは思えん。お料理界のマツコデラックスwww」----。
 好意的な意見がくすぐったい。耶居子は顔が赤いのを誤摩化そうと、慌てて口を開く。
「フルーツ味のカロリーメイトといえばジブリ映画の『耳をすませば』だよね。ヒロインが小説を書く時に、もそもそ食べてるの。あれ以来、カロリーメイトといえば、断然フルーツ味」
「え、あれ、フルーツ味だっけ? よく見てるのね、さすが耶居子さん! ていうか、耶居子さんがジブリ見るとか意外〜〜」
「失礼な、ジブリを見ないやつは日本人にあらず! 『紅の豚』が神!」
「わっ、シブい好み。私は断然トトロだなあ」
 大人たちのやりとりを楽しそうに見ていたまーちゃんが、トトロ、と聞くなり、手を打ってはしゃぎ出した。優子が気をきかせてDVDの棚から「となりのトトロ」を取り出し、機器にセットした。プラズマテレビの前に寄り添って座り、オープニングの曲に合わせてゆらゆら揺れる、優子とまーちゃんの背中を見つめていると、玲子がつぶやいた。
「綺麗で賢いおねえちゃんと、うっかり屋で頭のでかいブスな妹か」
 画面ではちょうど、サツキとメイがトラックの荷台に揺られ、新しい家を目指しているところだ。耶居子はかっとなって、玲子をどつきそうになる。
「ジブリの登場人物にブスとかいうな! 人にあらず!」
「思い出すのよ。子供の頃のこと。トトロを見ていると」
 玲子はうつむいて、カロリーメイトを咀嚼している。
「私の姉はすごい美人で人気者で、頭も良かった。学校でも家でも比べられて、辛い毎日だったわ」
 胸をつかれて、彼女の横顔を食い入るように見つめてしまう。玲子の生い立ちを聞いたのはこれが初めてだ----。
「十八になってすぐに、家を出たの。以来、ほとんど家族に会ってないわ。とにかくお金を貯めて顔を変えるしかない、と思って必死に働いたわ。調理師や栄養士の資格をとったのは、別に食に関する仕事をしたかったからじゃないわ。食いっぱぐれたくなかっただけ」
 こんなことをぺらぺらしゃべっても大丈夫なのだろうか。背中を冷や汗がつたう。用心しいしい葉月を覗き込むと、彼女は安心させるようにうなずいた。
「こういう仕事をしているとね、いろんな芸能人の顔にたくさん触れるの。一目見た瞬間から、わかってた。ユリエちゃんや優子ちゃんは気付いていないだろうけど」
 玲子が葉月に、信頼しきった目を向けている。なんだか拍子抜けして、耶居子はソファに思いきりだらしなくもたれた。
「私、ユリエちゃんの気持ちがわかるような気がするわ」
 プラズマテレビに向いたまま、玲子は静かに言った。
「耶居子さんみたいに人の目なんて気にせず生き生きと楽しそうな人を見ていると、たとえようもなく嫉妬とむなしさを感じるの。私のしてきたことって、なんだったのかな、って思う。世の中の基準に自分をすり寄せて生きてきただけで、本当に好きなことをやったり、言いたいことを言ってきたのかなって。そもそも自分がどういう人間だったのかも、もう思い出せないわ」
 初めて彼女と本音で話せた気がするーー。耶居子はふと、目の前の細い体を思い切り抱きしめたい衝動に駆られたが、わざと豪快に笑ってみせた。
「うげー、美人って本当に欲張りだなあ。なんでも手に入らないと気が済まないから、つまんないことで人と比べてクヨクヨするんだろうね」
 葉月も玲子も、ぽかんとした顔つきでこちらを見ている。手作りカロリーメイトを口に詰め込みながら、耶居子はもごもごと続けた。
「まーちゃんは、きっと昔の玲子さん似なんだろうな。私、子供なんて嫌いだけど、まーちゃんは好き。本当に賢くて愛嬌のあるいい顔をしていると思う。美女教育なんて必要ない。あのままで、世界で一番可愛いよ」
 玲子は感じ入ったようにしばらくまーちゃんの背中を見ていた。そして、
「ありがとう......」
 と小さくつぶやき、滲んだ涙を拭う。しんみりしたムードが気恥ずかしく、何か言おうとしたその時、なにやらよどんだ気配を感じた。
「あ、ユリエ!」
 階段の中程にユリエが立って、無言のままこちらを見下ろしているではないか。部屋中の視線が階段に集まる。久しぶりに見る彼女は、別人のようだった。顔色は悪く、頬がこけている。下着のスリップにパーカーを羽織っただけのいでたちは、だらしなく不潔な印象を与えた。髪がひどくぱさついている。目の周りが落ちくぼみ、肌が荒れているのに、塗り込めるような濃いメイクを施しているのが、なにやら病的に映った。
「いい気なもんね。どいつも、こいつも」
 一瞬、耳を疑った。
「人がこんなに苦しんでいる時に、ニヤニヤ笑いながらアニメ見ているなんて。この家、ブスの汚染が始まっているわよ。そこにいるジャイコのせいで」
 誰かが唾を飲んだ音がした。これがユリエの言葉だろうか。投げ遣りに吐き出すようなしゃべり方は、荒みきった年増の娼婦のようだ。彼女の右手で手作りカロリーメイトが粉々に握りしめられているのを見て、耶居子はぞっとする。こちらの視線に気付いて、ユリエは皮肉たっぷりに微笑んだ。
「食べるわけないじゃん。こんな不細工な激マズ菓子。恩着せがましく手作りなんかして、うっとうしいのよ。どうせ、自分のブログにアップするためなんでしょ。そんなにしてまで善人面がしたいわけ? 自分の優位を確認して、しょせんユリエなんて顔だけじゃん、とか見下したいわけ?」
 ユリエはゆっくりと階段を下りてくる。こちらまでたどり着くと、耶居子の頭の上ににぎり拳を突き出す。ユリエが手を開くと、粉々の菓子が耶居子に降り注ぎ、髪を真っ白にした。優子が小さく悲鳴をあげている。髪の隙間からぽろぽろと落ちる菓子を振り払おうともせず、耶居子は無言でユリエを見上げた。彼女はおかしくてたまらない表情で腰を屈め、挑発するようにこちらを覗き込んでいる。
「さぞいい気分でしょうね。あんたみたいな女が美人のために何かしてあげるのって。忘れられるものね。自分がキモいブスで、二十五歳にもなって処女だってこと」
 しんとしたリビングに、ユリエの乾いた声が隅々まで響いている。
「あんたなんか、性格が良くなきゃ、誰からも相手にされないもんね。お兄ちゃんにもエイジさんにも。最近、随分楽しくやってるみたいだけど、この家とあの変なブログの中でだけのことでしょう? 一人で世間にたたき出されたら、また前のあんたに逆戻りすることを忘れないでよね。ああ、思い出すなあ、小学生の頃。クラスで虫ケラ以下の扱いだったよね。私が優しくして接してあげているのを見て、周りになんて言われてたか知ってる?」
 耶居子は立ち上がると、まっすぐにユリエを睨みつけた。へらへらしていた彼女が一瞬たじろいだのがわかる。
「知ってたよ。あんたが知ってたことは知らなかったけどね。プリンセスとイノブタだっけ」
 まーちゃんがわっと泣き出し、優子の胸に顔をうずめた。ユリエはちらりと一瞥すると、うっとうしそうに舌打ちした。二人はしばらくの間、睨み合っていた。
 こんなことは誰にも言えないが、耶居子は泣きたいほどに安心していたのだ。全身から力が抜けていく。よかった。ユリエだって、自分と同じようなドス黒い部分を抱えて生きているのだ。ユリエだって同じ人間なのだ。怖がる必要も、引け目に思う必要もなかったのだ。ずっとずっと忘れていた。彼女と本物の友達だったことを。一緒にいると楽しくてあっという間に時間が過ぎたことを。物の見方や考え方がとてもよく似ていた。お気に入りの本や漫画の話ばかりではない、嫌いなクラスメイトや先生を莫迦にし、欠点をあげつらい、いつまでも悪口で盛り上がっていた。皆の前ではおしとやかで可愛いユリエも、耶居子と二人きりになると、鼻に皺をよせ、意地悪そうに目をつり上げ、実に生き生きとしたブスだったっけ----。まるで分身みたいな存在だった。この家のプールサイドで、たくさんの約束を交わした、大好きな友達。
 先に目を逸らしたのはユリエの方だ。
「玲子さん、もう食事の準備してくれなくていいわ。私、これからは自分の食べるものは自分で用意して、一人で食べる。買い物ぐらいは普通に行けるから。ちょっとやりたいことがあるから、部屋にこもりきりがちになると思うけど、心配しないで」
「心配するわよ! そんなに痩せて......。ユリエちゃん、一体何があったの? やりたいことって何なのよ!」
 すがりつかんばかりの玲子を乱暴に押しやると、ユリエは髪を振って回れ右をした。煙草のにおいが、辺り一面に広がる。
「『ユリエズルーム』で検索してみて」
「は? ユリエズルーム?」
「これは私からの挑戦状よ。調子づいたジャイコに、私たちとの差を思い知ってもらうため。人には生まれつき、決して埋められない差があるっていうことを見せつけるため。美しいっていうのは、それだけで価値があるってこと、よくよく教えてあげるの」
 背を向けたままそう言い捨てると、ユリエは階段を上っていく。やがて、二階でばたんとドアが乱暴に閉まる音がした。まーちゃんが再び泣き出し、優子に抱きかかえられて子供部屋へと連れて行かれる。玲子は呆然と立ち尽くすばかりだ。
「なに、今の......。あれが、ユリエちゃん?」
「まあ、人間一皮向けば大抵あんなもんだって」
 耶居子は髪についた屑をテーブルの上に落としながら、わざと明るく言った。ネットのあらゆる掲示板を旅してきた自分ならわかる。ごく普通の人間が、信じられないような悪意を隠し持っている。普段は理性で飼いならしている人間ほど、ひとたび攻撃相手を見つけると手がつけられなくなるものだ。自分だってかつては、もっと酷い言葉を他人にぶつけて憂さ晴らししていたではないか----。因果応報。そんな言葉が頭をよぎり、胃がぐっと締め付けられるようだ。葉月の大声で我に返る。
「ちょっと大変、なに、このサイト! ユリエちゃん、一体何を考えているの?」
 iPadに表示されたホームページのトップ画像を見て、耶居子は本当に言葉を失った。プールに突き落とされた時みたいに、体がさっと冷たくなり、日常がぐんぐんとかなたに遠ざかっていく。何が終わって、何が始まったのか、耶居子はようやく思い知った。
 プラズマテレビの画面では、サツキとメイがトトロのお腹にしがみついて夜空を飛び回っている。

柚木麻子

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